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2009年1月

2009年1月31日 (土)

「連絡は天使」

おくりものが届きました。何年もお会いしていないご無沙汰ばかりの知人からです。大きな箱の中に大事に大事に包まれて現れたのは、手のひらに包み込めそうな二人の天使です。立ち寄った喫茶店でめぐり会ってその愛らしさに感動、最後の作品と聞いたので送ります、とのメッセージに添えて天使の歌声のCD付です。すぐに一番お気に入りの場所に飾りました。大勢でにぎやかにおしゃべりするのも楽しいけれどもCDを聞きながら上を向いて天使とおしゃべりするのもまたいいものです。(由)

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2009年1月29日 (木)

「流浪のオーストラリア」

「モーニン」、「ハウアユー」。祖父の口からでてきたことばに吃驚してしまった。明治生まれの祖父は、戦争で南方に出征し戦死とされたが、捕虜生活を送り生還したのは知っていた。無骨で無口だったが、お酒の相手をしたのに気分をよくしたのか昔話を始めた。オーストラリアで捕虜生活を送っている時に覚えたという英語、美味しく豪華な食事と大変人道的で親切な待遇を受け、楽しんでいた様子だった。つらかったことは一言ももらさなかった。洋食を好んだのはその名残だったのですね。サンドイッチをつくると思い出します。(由)

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2009年1月28日 (水)

「理性は」

早朝、変な足音で目が覚めた。寝室のドアの向こうにいたのは、大きな犬。犬もびっくりして逃げたところを玄関に閉じ込めた。1軒家のことで、出張中のご主人のかわりに、お母さんと生後間もない赤ちゃんと子供達のボディガードに泊まった私は、犬が怖い。皆も同じだ。何故、部屋の中に犬がいるの?昨夜は、きちんと施錠、見廻り点検もしたのに?大きい犬、怖い。赤ちゃんがいる。玄関に近寄れない。外に出られない。両隣は空き地だ、どうしょう・・パニック状態で警察へ電話した。

駆けつけてくれたおまわりさんが玄関を開けると、犬は一目散に逃げてしまった。まるで無理矢理家の中に閉じ込められた被害者(犬)のような勢いだった。理性で考えてごらんなさい、犬が理由なくいる筈はない。昨夜から隠れていたのでしょう。とあっさり。理性は怖さで・・・、やっぱりどう考えても、不思議な出来事でした。(由)

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2009年1月27日 (火)

「乱読そして」

最近、乱読、そして走り読みの癖は、子供の頃、未知の世界を開いてくれた世界文学全集のなせる業だと気づいた。名作の理解できないところは読み飛ばしてストーリーを追いかけた。てあたり次第に読んだ結果、食べ物や町並みや景色が印象に残り、小説の舞台への憧れが旅になった。肝心の珠玉のメッセージに感動するのとは縁遠い読書である。同じ本を熟読するよりも新しいものを読みたいと想う。活字が大好きなので、作者の意図は感じ取れなくとても、今日は何を読もうかなと愉しくなる。たとえ広告紙でも。(由)

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2009年1月23日 (金)

「夜の月にもまして」

早朝に細い白い月を見つけた。星のない南の空に白く端然とある月にすっかり見とれてしまった。空に留めた小さい細い弓形の銀のブローチ、ひかえめ、でも存在感がある。毎晩のように出会っている明るい夜の月もいいけれども、これは私にとってはうれしい新しい発見。月の姿はいつでも素敵だ。満月もいいけれども、想いを馳せると月にいるような奇妙な不思議な感覚にとらわれてしまう。朝も夜もお月様から目が離せない。(由)

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2009年1月22日 (木)

「故あって松」

お正月の松がなかなか捨てられない。寒さのなか、まっすぐな針状の緑の葉、凛とした様を見ると私の背ものび、冬にふさわしい樹だとみとれてしまう。松は植える場所を選ぶというのに、田舎の我が家の南向きの一番いい場所にもあった。観賞用ではなく実用的、大変美味しくて体によいという松葉サイダーつくりのためだった。成長著しく大木になり、造園屋さんに処分をお願いする始末だった。お城にはよく松が植えられている。松明(たいまつ)というほど可燃性の樹脂をふんだんに含み燃えやすいのに危険と考えなかったのだろうか。それとも実や皮を非常時用の食料とした故か。(由)

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2009年1月21日 (水)

「柔らかすぎずほっこりの傑作」

 

朝、お楽しみの焼き芋が消えていた。僕が食べたと父の声。焼き芋なんて食べないはずの父が、夜遅くアルコール漬で帰宅、何故か全部ご馳走様。鍋を犠牲にして創りあげた、ほっこりとしてほどよく甘く、香りたつ傑作だった。焚き火でつくったものよりも美味しかったのは、使えなくなった高価なおなべのせいだったろうか。父のお陰で叱られずにすんだが、それ以後鍋使用禁止になった小学生の頃の思い出。たかが焼き芋、でも素材そのものが加熱のみで美味しく変身するすぐれもの。おつきあいは、いつまでもいくつになっても続く。(由)

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2009年1月20日 (火)

「もう、ふきのとう?」

大寒の頃になると、母が貴重なふきのとうの春一番を送ってくれた。小さなものを1個か2個である。はしりのものが好きな母は、小正月が過ぎると、ふきのとう探しを始めるらしかった。毎年同じ会話、「もう、ふきのとう?」。遅れて紀元節の頃、仲間とふきのとう探しにあちこちと出かけた。旅行先から、たくさん摘んできてくれた友人もいた。その友人は、食べるのみで調理をしない。蕾だけではなくりっぱな花のおまけつきだった。あの香りと苦味が好きな私は、細かく刻んで湯通し、ぎゅっと絞って鰹節と生醤油を数滴で食べる。佃煮にするとほんの少しになってしまうのが残念。冬眠から目覚めた熊は、最初にふきのとうを食べて味覚を刺激すると聞く。私のご先祖様は熊族?(由)

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2009年1月19日 (月)

「めぇ」

田舎の家には馬蹄形になった防空壕がある。戦時中、家人ではなく、近所の人がやって来て造ったものと聞いた。幼い頃、中にはムカデいるから立入禁止と言われて近づいた事はなかった。ところが、ある日、山羊が住むようになった。山羊乳を飲むためである。

担当は父で、搾って、沸かしてお砂糖を加えて飲ませてもらっていた。いったいどこの栄養学からの知識だったのだろうか?大人になってから、独特の臭いのある山羊チーズが大好きなのは、そのせいかしら。(由)

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2009年1月17日 (土)

「昔は今」

子守唄ではなかなか寝つかないので眠たそうな声色でゆっくりと昔話をした。「むかーしむかしね、」、すかざず舌足らずの可愛い声で「いつの昔?」。「おじいさんとおばあさんが」、「どこのおじいさんとおばあさん?」。なんとか話を創り終わると、次の瞬間には寝息が聞こえていた。今でも覚えているだろうか。

私の昔は、曾祖母と祖母に囲まれた生活。いつもどちらかが傍にいて特別扱い、暖かく守られていた。昔語りの世界は今の私になって息づいている。(由)

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