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2019年5月17日 (金)

『白洲次郎・正子』

 ひょんな事で『白洲次郎・正子』眠るという案内板を見つける。三田市の息子の家に泊ったときのできごとである。住人の(と思っているらしい)ミニダックスフンドのモモや孫達と早朝散歩に出かけたときである。息子が近くに古い立派なお寺と古い墓地があると言う。由緒あるお寺だろうと思われたので、小高い丘の山頂にある裏口から立ち寄ってみることになった。墓地はかなり大きな区画であるが、墓石は少ないので、改葬され移されたものと思われる。その中、一際広い区画に古い墓石が現れる。九鬼家の文字が読める。そこを後にお寺に向かって下った所に、小さいので見逃しそうな例の案内板があったのである。確かに『白洲次郎・正子の墓』と書いてある。『白洲次郎』というと、先の大戦後、進駐軍(マッカーサー)との折衝に大役を果たしたダンディな人物とのイメージがあった。

 広い白洲家の墓地の入り口に『次郎と正子』の墓石が2基仲良く並んで設置されている。縦1.5m、横0.3m、厚さ0.2m程の表面の荒い石が人の形にデフォルメされ、中央上部に梵字が刻んである。後にお寺に行って知ったが、『次郎』の遺言は、「葬式不要、戒名不要」であったという。墓石は妻の『正子』が有名な彫刻家に、二人分を依頼したとあった。近くには記帳簿と線香がおいてあり、お参りする人の多い事が察せられる。早速、令和元年5月3日、住所、氏名を記してお参りする。

 ちなみに、このお寺は心月院といい、三田市のホームページによると、1633年に初代藩主の九鬼隆が開山したのが始まりとされ、山門は豊臣秀吉が有馬温泉に造営した御殿の遺構といわれる。(勉)

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