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2020年8月12日 (水)

『長島への旅』

 遠出を避けて鹿児島再発見の旅を計画した。仕事で縁のあった橋や道路などの現況観察を兼ねて長島へ出かけた。

 まず平成7年に開通した「伊唐大橋」に向かう、同橋は鹿児島県内で最初の斜張橋である。長島町役場から伊唐島までは20分程度で到着する。架橋記念公園が長島側橋台背面の高台にある。斜張橋の眺めが一望でき、広い駐車場やトイレ、案内板などの設備は整備されているが、見学者は少ないようである。

 当時、流行の斜張橋は風景にマッチして存在感はあるが、工事費が高価であった。島の人口1人当たりの工事費が日本一だと大きく報道され、過疎の島には贅沢だと言われたこともあった。

 ランドマーク的な要素はあるが、伊唐島の道路は行き止まりとなっており渡る人は限られる。

 橋を車で移動すると、以外と幅員が狭いと感じた。昔、天草からの縦貫道と繋がると聞いた事はあるが・・・。

 橋の中央部から隣の竹島を眺めると、縦断線形のかなり厳しいコンクリート橋が見える。海上に白いコンクリートの盛り上がった橋の線形が、ドーム状に形成され近くで見てみたい衝動に駆られる。

 竹島は隣の島であるが、先の集中豪雨で道路が決壊しており、長島町舎まで引き返してから竹島へ向かう。20分程で東町漁業組合のある港にでる。そこに「竹島大橋」はあった。伊唐大橋と同じ平成7年に開通している。PC橋でボックス桁張出し工法にて施工している。現地に来て見ると、アプローチからクラウンにかけての縦断勾配がすごい、桜島フェリーの二階に乗り込む時の勾配に近い感じがした。クラウンにストップしてみるといかに高いかが良くわかる。高所恐怖症にはとても車から降りる気にならなかった。

 最後に、父が監督して施工した指江の防潮堤を遠くから眺めた。黒之瀬戸大橋の無かった時代、トラックを積める渡し舟で、阿久根から渡ったと聞いていた。今と違って飯場に泊り込みの時代、鹿児島に帰るのは盆と正月しかなかった。特に年末の帰省には、長島の小ミカンの大きな木を1本丸ごと買ってトラックの荷台に積んできたものだった。子供達は大喜びでトラックから降ろし、家まで運び込んだ。家の中にミカンの木が立ったのである。

 子や孫を思う心や有り難味をやっと感じる年頃になったが、そのころには親はいないのですね・・・。(勉)

架橋記念公園からの全景

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