『時は命なり』
穏やかな新年を迎えた。今年は、東京オリンピックイヤーである。56年前のオリンピックに合わせて買ったテレビで見た入場行進とファンファーレを思い出す。
最近、「一年が短かった」と、知人達が言う。私も同感なのだが、小学生が「一年が短かった」とインタビューに答えていたのには驚いた。私が小学生の頃は、「一年経つのが長くて、長くて」しょうがなかったが、なぜ短いと感じるのか。今の小学生は、塾・スポーツや音楽の稽古など、一日が忙しいようだ。さらにゲームやSNSの時間も必要らしい。野山を駆け回る時間など、とても無さそうである。
私自身の経験から仕事が忙しい時は、一日が過ぎ去るのは早く、仕事が暇な時は、一日を長く感じる。また、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌など多くの情報に囲まれて過ごすと、一日はアッという間に過ぎ去ってしまう。そのように、時間の長さはその使い方にあるようだ。
新聞に、聖路加病院の故日野原先生のコラムが紹介されていた。子供達に「命はどこにありますか?」と聞く。「脳」、「心臓」などと答える。先生は「命は時間の中にあるのですよ」。「子供は全ての時間を自分の為に使い」、「大人になったら少しずつ人の為に使いなさい」と時間について説かれていた。なるほどと思いながら、大人となって半世紀も過ぎたが、人の為にどれだけ使ったのか疑問である。沢山のご恩や施しを受けて生かされて来た。沢山の人への奉仕をする時が来たと思う年頭である。(勉)
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