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2008年9月

2008年9月16日 (火)

「さりげない写真」

今年の春、91歳で旅立たれたY氏の写真帖を時々めくる。ご贔屓の雑誌にかつて掲載された7枚の写真である。

還暦を迎えられたとき、楽しく充実した生き甲斐のある日々にしたいと、誰にも教わらず、勝手気ままに、美しいと思ったもの、写したいと思ったもの、すきなものだけを自己流で撮り始められたとのお話が添えてある。夕日、春風、街並、ひととき、晩秋・・・。人物は一人もでてこないのだが、あたたかな人の雰囲気が伝わってくる。写真は、「心」を写すもの、「写心」との名言。さりげなく、偶然に出会った、あるがままの風景を好まれた故に魅かれてしまうのだろうか。(由)

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2008年9月13日 (土)

「こんにちは、さようなら」

突然にやって来た今年の夏。いつまでも続きそうで終わりの時を感じさせなかった夏。

夏が旅に出る。あんなにもぎらぎら派手で賑やかで勝手で散々暑さや雷やゲリラ雨で悩ませた強く逞しい夏が往く。夏のうしろ姿に心をとらえられる。肩をそびやかして夏が往く。(由)

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2008年9月12日 (金)

「ケロッ ケロッ ケロッ ケロケロ♪♪」

本日も我が家の合唱団は元気です。どちらかというと山住まいなのに蛙がいるのです。

防火用水の為の小さな池が住処です。山からやってくる狸と喧嘩したりもしているようです。夜になると一段と賑やかですが、物音でぴたっと止み、防犯にもなっているのです・・・。

ご近所さんから、ご自宅の方は大変ですね、と同情されて吃驚。大変なお騒がせ音なのですね。毎年、春に卵の始末をしてもいつのまにか復活。防火用水に免じて「筑波山麓合唱団」ならぬ城山山麓合唱団をお許し下さい。時々「グワッ グワッ グワグワグワ」(由)

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2008年9月11日 (木)

「栗そして樹」

店頭に栗をみかけると秋を感じる。私のなかで食と季節はしっかりと連携している。

栗を食して秋を実感する。いがも大変気に入っているので捨てられない。秋だ。

かつて旅の途中で立ち寄った「木の工房」で、「木」にぞっこん惚れ込んだ趣のご主人から、栗の樹は硬く耐久性が高く色の深みが増していく素晴らしい素材、と教えられた。

山守の知人は、次々世代の為に山に栗の木を植えた、と話してくれた。

ご贔屓の作家が、やっと念願の栗の樹の机を誂えた、とうれしそうに書いてあった記憶もある。

田舎の道の駅で、いかにも手造りの素朴な栗の樹の机に出会ったことがあった。

同行者達の賛同を得られず買い損なってしまった。どんな色に変化しただろうか。

「大きな栗の木の下で」も楽しいけれども

時には「はらはらとおつる木の葉に交じりきて栗の実ひとり土に声あり」蓮月 

気分。(由)

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2008年9月10日 (水)

「黄色」の想い

好きな色は、と問われると迷わず「黄色」と答えていた高校時代。

転校する時、思いがけないクラスメイトから黄色いレモン(まだ珍しく高価だった記憶)を添えて「千恵子抄」の文庫本をもらった。その素敵なセンス、詩とは縁遠かった私には大変なカルチャーショックだった。物静かでおとなしい人の情熱を垣間見た経験。

いまでも鮮明に思い出す贈りもの。(由)

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2008年9月 9日 (火)

「傘が好き!」

子供の頃、雨が降ると少し機嫌が悪くなった。雨に濡れようものなら涙。

父も雨を好まなかった。衣服が濡れると、ただでさえ寡黙なところにさらに言葉少なく、少々気難しくなった。これは遺伝に違いないと思っていた。ところが、傘が大好きになって以来、雨が降らないことには、それを生かせない。

雨天でも歩く。急な雨でもタクシーに乗るよりは、傘を買ってしまう。傘のお裾分けをしてしまう。傘に呼ばれて売り場を素通りできない。もう何本あるだろうか。

これも「シェルブールの雨傘」のなせる業。(由)

2008年9月 8日 (月)

「音・音・音・・・」

高原の太鼓祭が大好きだった。幾夏通い詰めたことだろうか。開放感溢れる星空のもと、心地よい夏の夜風に吹かれながら繰り広げられる太鼓の競演。おおらかに、華々しく、神々しく、繊細に、小粋にとヴァラエティ豊かにわくわくさせてくれた。大自然と一体となった拡がりを感じさせてくれた。

もちろん屋内での太鼓の公演も迫力満点。太鼓の渦の中へ、そして自分自身の内側へ巻き込む熱い大きな力。なんという素晴らしい集中力・・・。

いったい私のどこに共鳴?シンクロ?(由)

2008年9月 5日 (金)

映像はやっぱり映画党

映像は、いくら説明しても説明しきれないことを瞬時に伝える。存在して眼に見えない限りは映せないけれども、醸し出す雰囲気は伝えてくれる。

アラビアのロレンス」。砂漠の美しさと繰り広げられる世界の厳しさ、イギリス人とアラビア人の思考の対比、希望と絶望・・・。なによりも主演のアイルランド人俳優ピーター・オトゥールの瞳のブルーの美しさ。大きなスクリーンの映画だからこそ引き込まれてしまう。瞳の前にことばはいらなくなってしまう。

あの鮮烈な青い瞳はどうしてるかな・・・

やっぱり映画館で映画だ。どこに行けば逢えるのだろう。(由)

2008年9月 3日 (水)

「海からの贈りもの」

ながいこと海に行っていない。比重が水より大きい人もいると小学校時代に教わった。それ故かなづち自認。でも海は大好きである。海からの贈りものの数々。美味しい貝、海藻、魚そして遥か遠くを感じさせる貝殻たち、塩の香りの砂。ぎらぎらと輝く太陽とたゆとう濃紺の広がり。

「さ・し・す・せ・そ」も嫌ではないけれども海へも行きたい。

そうだ、まだ9月。裸足で海と遊ぼう。

人生の午後の時間に「海からの贈りもの」も持って行こう。

きっと今なら本当の「海からの贈りもの」を感じられるかもしれない。(由)

2008年9月 2日 (火)

「いつもいいこと探し」を

ご贔屓のお医者様がいる。聖路加国際病院のF先生である。病院とはとんとご縁のない私であるが、長いお付き合いの雑誌に随筆を連載されている。いつもそのほっこりとやさしいお人柄の感じられることばに感動する。なんと好奇心旺盛、正義感溢れる食いしん坊、そしてなにより少年の心の持ち主の先生の原点は「少女パレアナ」にありとのこと。

遥か昔に読んだ記憶が蘇ってきた。「いいこと探し」で「何でも喜ぶゲーム」をするパレアナは、今や大人気の成功法則本よりも楽しく、わくわくしていた。

今日はパレアナ視線。

今日のいいことは数え切れない。 (由)